金平糖とは?由来や歴史、特徴についてもわかりやすく紹介

金平糖 由来

カラフルでかわいい形の金平糖(こんぺいとう)は、小さいながらもなかなか存在感のあるお菓子です。ですが、味は単純で凝ったお菓子が多い現代では昔っぽい印象があるかもしれません。

そんな金平糖ですが、実は長い歴史と意外な側面がいくつもあるんです。今回は金平糖についてご紹介します。

1.金平糖(こんぺいとう)とは?

金平糖

金平糖は砂糖で作られる、凸凹の突起をもつ、小さな玉状のお菓子です。基本の色は白ですが、色や香り、フレーバーが加えられ豊かなバリエーションをもっています。

一見シンプルで、製法も単純に見える金平糖ですが、実は作るには非常な手間と時間がかかります。

大きな鍋に核になるザラメを入れ、そこに糖蜜を少しずつかけながらかき混ぜて粒を成長させていくのですが、出来上がるまでには小さな金平糖で2日、普通は1週間から2週間もの時間がかかります。

金平糖をきれいに仕上げるためには熟練した職人の技が必要になってきます。

金平糖づくりには温度や鍋の角度、注ぐ糖蜜の量などが関係し、微妙な調整が必要なのです。間違えるとべたついたり突起ができなかったり、カサカサにひび割れたりしてしまいます。

2.金平糖(こんぺいとう)の由来・歴史

「金平糖」と漢字で書かれることも多いので、日本のお菓子と思っている人も多いでしょうが、故郷はポルトガルで、16世紀中頃の戦国時代に日本に伝わったと考えられています。

1569年、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが日本に持ち込んだのが最初で、当時、日本ではまだ大規模な製糖技術が確立されていませんでした。

語源はポルトガル語でお菓子を意味する「コンフェイト」、英語のコンフェクショナリー(菓子一般)にも通じる言葉です。

遠いポルトガルから伝来した金平糖は、織田信長にも献上されたと記録されています。ガラス瓶に入れられ、贅沢品として考えられていました。

当時の金平糖は希少品のため、主に大名や身分の高い人への献上品として使われていました。金平糖が庶民の間に普及するのは18世紀に入ってからになります。

金平糖の職人は、もち米を粒状にした「イラコ」をベースに、砂糖を混ぜて作ります。この工程を何度も繰り返し、2週間から3週間かけて作られ、飴細工の職人のようです。

3.金平糖(こんぺいとう)の保存性について

長い時間をかけて作られ、砂糖が結晶化している金平糖は容易にしけらず、高い保存性があります。湿気に注意していれば20~30年も味が変わらないといわれています。

この保存性の高さから、保存食としても活用されています。非常食用乾パンの缶の中に(氷砂糖のことも多いのですが)金平糖が入れられることがあります。

これはカロリーの摂取とともに唾液を分泌させて乾パンを食べやすくする、そしてカラフルでかわいい見た目で気持ちを和ませる効果も期待されてのことです。

4.金平糖はどんな時に利用されるのか

以前と比べると普及している感じが薄れている金平糖ですが、次のような場所ではよく利用されています。

まず喫茶店です。原料が砂糖なので、コーヒーや紅茶に砂糖と一緒に添えられることがあります。

ウェディングやお祝い事のお返しギフトとして使われる場合も多くあります。また、神社や寺院で授与品として利用される例も少なくありません。

皇室で使われることもあります。ボンボニエール(ボンボン菓子入れ)は皇室からの引き出物として有名な品ですが、その中身に日持ちのする金平糖を入れることがあるのです。

5.金平糖(こんぺいとう)のおすすめ専門店

金平糖は日本各地の製菓店で作られ販売されていますが、日本唯一と言われる金平糖の専門店が京都にあります。それが「緑寿庵清水」です。

この店では季節限定のものなども含め、50種類近い金平糖を作っています。果物味やサイダー味、バニラ風味など、他のものとは一味違うと評判です。

ごく少量しか生産できない「究極のチョコレート金平糖」や「究極の赤ワイン金平糖」などは予約のキャンセル待ちも毎年のこととか。

通販の他、首都圏では銀座に支店があるので、興味のある方は足を運んでみてください。

最後に

以上,金平糖についてご紹介しました。

小さな粒の中にいろいろな特徴が隠れていることがお分かりいただけたことと思います。

金平糖を口にする機会があったら、この記事のことを思い出しながら味わって頂ければ嬉しいです。