水墨画は、文字通り、墨だけで描かれたモノクロームの絵です。中国の唐の時代に始まり、日本には、鎌倉時代に禅とともに伝わりました。そのころは禅の思想を表すものでした。
ところが、室町時代に雪舟が出て、日本の水墨画の流れを大きく変えました。雪舟が涙で描いたネズミがまるで本物のようだったというエピソードは、日本人なら誰でも知っていますね。
その後も水墨画はいくつかの転機を越え、日本水墨画の世界を確立していきます。水墨画を語る時に避けては通れない有名画家5人を集めました。
- 雪舟、長谷川等伯、狩野探幽、与謝蕪村、富岡鉄斎が水墨画の有名人
目次
1.水墨画を語るならこの5人!日本の知っておきたい有名人を紹介
水墨画の有名人、画家①「雪舟(1420~1506?)」
雪舟(せっしゅう)は、禅僧になるため、禅寺で修行をしていましたが、絵ばかり描くので罰として柱に縛られます。その時に涙で描いたものがまるで本物のようなネズミでした。
話の真偽はともかくとして、それ以来、雪舟が絵を描くことを誰も止めませんでしたから、このことがのちの雪舟、ひいては日本の水墨画に多大な影響を与えたことになります。
長じて雪舟は、明の時代の中国に渡り、約2年間、本格的な水墨画に触れ、研究し、中国においても評価されます。
その時に「風景こそ最大の師」と悟り、中国各地の風景を写生しましたが、今なお雪舟の風景画が中国に残っています。
帰国後、雪舟は、日本独自の水墨画を確立します。雪舟の出現で日本の水墨画は一つの頂点に達しました。
雪舟の作品の多くは、国宝に指定されていますが、「天橋立図」(京都国立博物館)、「秋冬山水図」「破墨山水図」(東京国立博物館)などがあります。
水墨画の有名人、画家②「長谷川等伯(1539~1610)」
長谷川等伯(はせがわとうはく)は、安土桃山時代を代表する画家です。
能登国七尾に生まれ、仏画や肖像画を描いていましたが、長じて上洛。狩野派などに学びつつ、牧谿(もっけい)、雪舟らの水墨画に影響を受けました。
千利休や豊臣秀吉に重用、金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立しました。近世水墨画の最高傑作の誉れ高い「松林図屏風」(東京国立博物館)などを描きました。
「美術史上、水墨画を自立させた」と評価されています。
安部龍太郎「等伯」は、長谷川等伯の生涯を描いた小説で、直木賞を受賞しています。読み応えたっぷりの小説です。
水墨画の有名人、画家③「狩野探幽(1602~1674)」
狩野探幽(かのうたんゆう)は、江戸時代初期の狩野派の絵師です。狩野派の代表的画家、狩野永徳の次男の長男として京都で生まれました。早熟の天才と呼ばれました。
のちに徳川幕府の御用絵師となり、狩野派流の豪壮な画風の絵を描きました。後年描いた大徳寺の障壁画は、水墨を主体として、余白を生かした詩情豊かな画風を生み出しました。
京都大徳寺方丈には、探幽が描いた水墨画の襖絵84面が残されていて、重要文化財に指定されています。
余白を生かし、墨の濃淡によって奥行きを表現した探幽らしい水墨画です。
水墨画の有名人、画家④「与謝蕪村(1716~1784)」
与謝蕪村(よさぶそん)は、江戸時代中期の俳人であり、画家です。どちらかというと、俳人としての与謝蕪村の方をご存知かもしれません。
なにしろ、松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠のひとりとされていますから。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」この俳句はあまりに有名ですよね。
しかし、与謝蕪村の本業は画家であり、絵によって家族の生活を支えていました。与謝蕪村は、同時代の池大雅とともに文人画(南画=南宋画)の大成者とされています。
与謝蕪村の代表作は、国宝に指定されている「夜色楼台図」です。絵巻物を途中で切ったような横長の絵が特徴的ですが、画面全体に流れるのは俳人としての繊細さです。
水墨画の有名人、画家⑤「富岡鉄斎(1837~1924)」
富岡鉄斎(とみおかてっさい)は、明治、対処時代の文人画家で、儒学者です。日本最後の文人と謳われています。
24歳の時、長崎で学び、そこで長崎南画派の指導を受け、翌年から、本格的に画業に取り組んでいます。彼の画業は、年齢を重ねるごとに評価されました。
鉄斎は、近代水墨画家と呼ばれています。
鉄斎は、生涯に1万点以上の作品を残したと言われていますが、自由で奔放な画風は近代日本画に独自の位置を占めています。
彼の作品は、宝塚市の「鉄斎美術館」、西宮市の「辰馬考古資料館」に多く収蔵されています。「阿倍仲麻呂明州望月図」(辰馬考古資料館)は、重要文化財に指定されています。
2.水墨画の歴史について
水墨画は、墨と水という2つの素材だけで描かれるモノクローム絵画のスタイルです。
水墨画は、墨と水という一見ありふれた素材を使って、光や形、質感まで含めた複雑な世界を表現し、一見シンプルな画風です。
起源
中国の長い歴史の中で、文献を書き写したり、文学を書いたりすることは、学者の仕事でした。
このような文人たちは、紙に筆と墨を使うことに慣れており、特に南宋時代には、詩に簡略化した作品を添えることが多くなったそうです。
シンプルでありながら、時に大胆な筆づかいは、対象の精神をとらえ、力強さ、優美さ、静謐さなど、幅広い表現が可能であり、14世紀、中国の禅僧によって日本に伝えられた水墨画は、時を経て筆の数を減らし、簡略化され、詩歌と結びついて今日の墨絵のスタイルが確立されました。
水墨画は、その創始以来、線の質に重点を置いており、これこそが形を捉えています。
最後に
いかがでしたでしょうか。
水墨画について語るなら、これぐらいの画家は知っておきたいという5人の画家についてまとめました。
水墨画は、墨だけで描かれる白黒の世界でありながら、色彩豊かな絵画以上に色鮮やかな世界を描いていると言えます。